印象派の絵の値段といえば今では目が飛び出るほどのものだということは誰もが知っていることですよね。
あらゆる印象派の画家の値段は今では大変高額なものになっています。
ここでは特にモネの絵の値段の推移と彼の年収がどのように変わっていったかということを東京大学名誉教授三浦篤さんの講演をもとにまとめてみました。
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19世紀絵画の値段はどのくらいだったのか
19世紀の絵画の値段はどのようにして決まっていたか
そもそも芸術作品というのは芸術であると同時に「商品」です。
19世紀フランスにおいてその価格、値段はどのように決まっていたのでしょうか。
まず挙げられるのは
・絵の内容、コンセプト、テーマ、造形的な出来栄え・・ですね。
これは現代でも同じです。
それから次に大事だったのは絵の「外的条件」でした。
・誰の作品か、その知名度、、これも現代に共通していますね。
また当時絶対権威のあったサロンで賞を取るとそこからぐっと値段が上がる、ということになりました。
これも現代の日本に共通しているところは大いにありそうです。
・その当時の時代の趣味が関係してくる。
例えば19世紀初頭だったらまだ歴史画が高額で取引されていました。
因みにダヴィッド作「皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠」は当時65000フラン、日本円で6500万円で取引されたと言われています。
またメソニエという画家が描いた戦争画は275000フラン=2億7500万円で購入されたとされています。
19世紀に最も高額で取引されたのはミレーの「晩鐘」でした。
これは当初ミレーは1000フラン(100万円)で売ったのですがそれが転売されたときは553000フラン(5億5000万)となり、それがまた転売されて750000フラン(7億5000万)になったと言われています。
19世紀半ばの画家の立ち位置と絵の値段
19世紀フランスでは画家という職業はそんなに尊敬されていた訳ではありませんでした。
当時尊敬され、社会的地位の高い画家というのは美術アカデミーの会員であり、国立美術学校の先生をしていたような人達でこういう人達は高収入でした。
こういうアカデミックな作風で出世した人達は意外と職人階級出身の人達が多かったと言われています。出世してお金を稼ぐ必要があったんですね。
が、印象派の画家達は割とブルジョワ階級出身の人が多かったので絵を必ず売らなくても生活できる人が多かったのですが彼らも画家として認められるためには絵を売りたいと思っていました。
またモネ、ルノアール、ピサロはそんなに金持ちの家庭に生まれたわけではないので他の売れない画家同様若いときはわりとボヘミアン的存在でした。
モネの絵の値段と収入の推移
モネの絵の値段~1860年代~
そもそもモネは10代の頃からとても絵が上手く街の人達の戯画(漫画)肖像画を描きまくって稼いでいました。
これは1枚20フラン(2万円)で売っていたのでパリにでる頃には200万円くらい貯めていたと言われています。
また1866年に描いた妻カミーユの肖像はサロンに入選し800フラン(80万円)で売れたといいす。
しかしこの頃は生活が苦しく、またモネ自身も浪費壁なところがあり、印象派の画家であるバジールが1866年の作品を2500フラン(250万円)で買ってあげたようです。
そしてモネが浪費しないように毎月50フランずつ渡していったと言われています。
モネの絵の値段~1870年代~
1874年第1回印象派展に出品された「印象・日の出」は当初画商のウォシュデが80万円で購入しました。
が1870年代の終わりにウォシュデが破産したためわずか21万円で転売されたと言われています。
今では印象・日の出は何百億円するかわからないのですが、、
1876年に描かれた「ラ・ジャポネーズ」(カミーユが着物を着た絵)は2020フランで売れました。
日本円で202万円です。これにはセザンヌが驚いたと言われています。
この頃は他の作品も1点が数百万円で売れるようになってきました。
なので1870年代には年収は1000万円から3000万円くらいあったのではないかと言われています。
因みに最初の妻カミーユは1879年に亡くなっています。
最初の苦しかった頃から生活を共にしてきた妻でした。
モネの絵の値段~1880年代から90年代~
1880年代になるとモネの絵の値段はぐっと上がっていきました。
1890年代になると1点数千万円になったと言われ、ジベルニーの家と睡蓮の庭を2万2000フラン(2億2000万円)で購入しています。
なので年収はこの2倍くらい(4億くらい)あったのではないかと推測されています。
画家も成功するとこういう話になってくるんですね、、。
1891に2番目の妻アリス・ウォシュデと結婚する頃には大変な高収入でした。
アリスには6人の連れ子がありましたから大所帯を養わなければいけなくなり収入もそれなりに必要だったのです。
またアリスは元々モネの絵を売っていた画商の妻でしたから絵を売り込む才能がありモネを成功に導いたと言われています。
モネの絵の値段~2000年代~
20世紀になるとモネの絵の値段はまた素晴らしく高騰していきます。
その要因は2つあると言われています。
モネの絵の値段の高騰要因1
それはアメリカ人実業家達の存在です。
アメリカ人である印象派の女性画家メアリー・カサットはアメリカに印象派を広めることに貢献しました。
1912年にモネ作品は369000フラン(3億6900万円)で売れています。
モネの絵の値段の高騰要因2
それは「連作」です。
印象派のコンセプトを突き詰めていくとその時その時の一瞬のイメージ、目に写るビジョンを捉えるということになりますから当然時間を変えて同じ風景を描くという「連作」となるわけです。
「連作」はまさに印象派の美学の帰結であったのですね。
モネの連作「積みわら」「ルーアン大聖堂」「睡蓮」の連作で良質な作品、商品が沢山生産されることとなり、アメリカで大人気となっていきました。
1890年から晩年にかけて制作された睡蓮の連作は約250点にのぼります。
19世紀、20世紀と印象派の画家達の絵の値段は上がり続け、モネの「印象・日の出」は今ではマーケットでは何百億になるかわからないという世界です。
まとめ
今回は印象派の中でも特にモネの作品の値段がどのように上がっていったか、モネの収入がどのように増えていったかということを書いてみました。
・モネは10代の頃から絵が得意で街の人々の戯画肖像画を描いて稼いでいて値段は1枚約2万円だった。
・1860年代はモネ夫妻の生活は苦しかったがカミーユの肖像が80万円で売れることもあった。
・次第に絵が評価されて売れるようになっていき1870年代には1000万~3000万円の年収があったと思われる。
・1880年代から1890年代にかけてモネの絵の値段はぐっと上がって1点数千万円になった。
・1890年にはジベルニーの家(睡蓮の池のある)を2億2000万円で購入。
・20世紀にはアメリカで大人気となりモネの絵の値段は積みわら、ルーアン大聖堂、睡蓮のシリーズなど連作を中心に高騰していった。
・今では「印象・日の出」は何百億の値段がつくと言われている。
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